「私」の倉庫

いろんな「私」がここへ逃げ込んできます。

再開したい、という気持ち

 


最後に記事を投稿してから随分と時間が経って、私も随分と変わりました。


書きたいことはたくさんあるけれど、どれも中途半端な言葉たち。

いつもネット上で宛てにするような、結論のあるものじゃなくて、
ぶつ切りでまとまりも無く、何をどうしたいのかよくわからない思考たち。

不確かで柔らかくて曖昧なものを残したくて
はてなブログをしようとしていたはずなのに、
未完成の文章を公開することはどうにもハードルが高い。


答えを見つけられていないことが嫌なのではなくて
(答えが無いものを残したい気持ちがあるので)
ある程度の区切りをつけて書ききれていないというのが、
ずっと更新できなかった理由かなと。


なので、Twitterやメモ帳にはたくさんの思考の破片が散らばっていて、
それらをぶつ切りで放っておける場所だからそこにある。

でも、考える事って日々いろんなことがあって、
それらをぶつ切りで置いておくと反芻しにくい。

日時やその時の出来事、きっかけを記録できるけど、
同じ話題を拾うことは難しい。


だからやっぱり、ここでまとめていけたらなと思った。


ぶつ切りでも、文体がばらばらでもいい。

私は私を記録することをやめられないのだから。

また三日坊主みたいになる気は多分にあるけれど、
なるべくハードルを下げて更新していきたい。

 

最初は何を書こうか。

この数年で一番変わったのは、「推し」ができたこと。

とある女性アイドルグループが好きになったのだけど、
多分いろんなことを考えてきたうえでその子たちの存在の影響が大きいので、
最初にそれを書こうかな。

「生きていたんだよな」と「夜に駆ける」

歌にめっぽう疎い私もこの1年位で少しずつJPOPを聴き始めました。そんな中で出会ったのがあいみょんの「生きていたんだよな」2016年にリリースされていながらやっと知りました。

直接的で淡々とした語りの部分と心に響く歌詞。親友を自殺で亡くした自分にとっては痛いほど刺さりました。(この話はまた今度)

 

なぜかリンクが貼れないのですがOKMusicでのインタビューにて「私自身は“くそ生きてやろう!”というタイプですから。めっちゃ生きたくて、死にたくないタイプ(笑)。」と答えています。そんな人にもこのような歌詞が書けるんですね。また「命を題材にしたこういう曲だからこそ、分かったようなことは歌いたくなかったんです。」とも答えています。とはいえこのような表現ができるのはあいみょんさんだからなのだろうなと思います。貴方純愛解剖歌で「死ね」と歌ってる人と同じとは思えません、笑

 

世の中には死にたい人とそう思わない人がいて、思わない人の中には「死にたい」をわかる人とわからない人がいると思っています。よく聞こえるのはその分からない人達の声。「なぜ?」「いきていればいい事があるかもしれない」「死ぬことは逃げだ」正直そんな言葉は聞き飽きてて。どんなメディアでもそういった否定的な言葉が流れるのは「自殺を肯定してはいけない」ことにあるのでしょうが、不快でしかないですね。何を思って、何をわかったようなフリをしてそんな言葉を紡げるのでしょうか。そんな風に思ってしまいます。私は「死にたい」側の人間なので。

そんな聞き飽きた言葉ばかりの中でこの「生きていたんだよな」は自殺について全く止めようと、否定するような言葉は見当たりません。

 

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

 

ここは私のお気に入りの部分です。死ぬことは決して逃げではなくて、自殺をする人にとってそれは最後の希望なんだろうな。そういう風に考えられます。希望のない現世から自殺という方法で飛び出して、次に向かうであろう世界へ希望を持って向かう。もし私も自殺するのならきっとそんな気持ちで飛び立つと思います。

そして自殺した友達もそうだったのかな、と考えると悲しい気持ちにもなります。彼女が最期に何を思っていたのか、分かる術はありませんが…希望の持った最期であって欲しいなと思います。

 

 

そうして「生きていたんだよな」について調べているうちにYOASOBIの「夜に駆ける」の文字を見つけます。この曲もつい最近知ったばかりだったのですが、まさか自殺が関係してるとは全く思わずに聞いていました。歌詞をそれほど覚えていなかったのもありますが…耳に入っていた言葉を思い出しても思い当たりません。ちょっとボカロっぽいよなと若干の親しみやすさを持った程度でした。(wikiで調べたところコンポーザーのAyaseさんはボカロPなんですね)

そもそもYOASOBIさんが小説投稿サイトにて投稿された小説を原作として作曲をしている事すら知りませんでした。「カゲプロっぽいな、なんだろ」と思った時に「原作が〜」と言うようなツイートを散見したのはこの為だったのですね。夜に駆けるの原作「タナトスの誘惑」無論読みました。歌だけでは自殺に全く気付けなかったし、シンプルに気になりました。約1800字の短い小説なので短時間で読めました。

 

ここから先「タナトスの誘惑」のネタバレを含みます。

 

マンションの屋上で自殺を試みて居た所を助け、出会い付き合った僕と彼女。

彼女は死に対する欲動「タナトス」に支配されている。そんな彼女には死神が見える。死神はそれを見る人にとって一番魅力的に見えるそうで、死神を見つめる彼女はまるで恋する女の子のようだった。

彼女の自殺を止めることに疲れた僕は「僕も死にたいよ!!」という。その言葉を聞いた彼女は笑っていた。彼女は僕にとっての死神だったのだ。彼女と僕は手を繋ぎ、夜空に向かって駆け出した。

 

凄くざっくりとした感じになってしまいましたがこんな内容の小説でした。しっかりガッツリ自殺を取り扱った作品でした。私の書いたあらすじはつまらないことこの上ないですが実際の小説を読むとめちゃくちゃ面白いです。世界がひっくり返る瞬間が、特に。この小説に出てくる「エロス」と「タナトス」は神話ではなく心理学の用語らしいですね。タナトスに支配されてる人間にしか見えない死神のその姿は理想の姿、というのはこの小説の独自の設定だと思います。この設定がまた伏線に重要に関わっているんですよね。

 

結局この投稿で何を言いたいのかよく分からない感じになってしまいましたが、生きていたんだよなで言った「死にたい人間」と「そう思わない人間(生きたい人間)」はエロスとタナトスに結びつくわけです。たまたまです、たまたま結びつきました、笑

 

こうして自殺について考えている中で、自殺した友達の存在は切り離せないわけです。少しずつ、その子の事とか私自身が自殺について思ってることとかを書けていけたらなと思っています。

10月22日 日記

昼過ぎに起き三角チョコパイとナゲットを食べました。ストックしてたコンポタのソースが無くなった。

午前中に課題をやっておこうと思っていましたが、そんな時間に起きてしまいなにも手をつけないままYouTubeで時間を潰してから3時過ぎにカラオケに行くことを決意。昨日から行こうとはしていましたけどね。課題は夜できるだろう。うん。

と近くのカラオケ着いて受付してたところで学生証を忘れたことに気付きました。何たる不覚…フリータイムは学生料金が590円大人料金が1400円程ですのでこれは取りに帰るしかない、と腹を括り店員さんに取ってきますと断り取りに帰りました…。自転車で往復15分程の距離ですが無駄な労力を使ってしまった感が…。

カラオケに戻ると部屋が埋まってしまったらしく、清掃作業が終われば直ぐに入れるとの事。時間つぶしに太鼓の達人をプレイしました。(いーあるふぁんくらぶ・カゲロウデイズ・ロストワンの号哭をプレイ。無論鬼である)

私の番号が呼ばれて居たのでそのまま入室。ワンオーダー制なのでポテトを頼んでドリンクバーへ。この時大体16時頃。19時過ぎには終わらせようと思っていました。

…のですが、なんとカラオケを退出したのは21時半でした。5時間半1人で歌いっぱなしです。私は歌があまり得意ではなく、最近流行りの曲も全く網羅していない為誰かと行くことはなるべく避けるタチなんですが、さすがに1人でそんな長時間歌うとは思いませんでした。56曲も歌いましたね…DAMで最高得点がLet it goの86.909点。一応平均は超えました。どちらかと言うと平均超えてないことがほとんどですかね…。自分の音域を知りたかったのもあり、結果画面を全部写真に残していたのですが、どうやらレ〜ラくらいっぽいです。2オクターブ半ですね。歌った曲は主にあいみょんOfficial髭男dism、RADWIMPS、アニソン、ボカロ…と言った具合ですが、普通の人間相手の曲だと問題ないのですが、ボカロは平気で音域をぶち抜いていくのでかなり大変というか、無理や!と思いながら歌っていました。(笑)小学生の頃にハマった曲がまだちゃんと覚えてる上に前よりマトモな形になっていたことに嬉しさを感じつつ喉を労り終了しました。その後チュウニズムもやりました。

 

結局かなり遅くまで出掛けた上に帰宅後ゴロゴロし、靴も洗ったりしたので今日は課題を1ミリもやりませんでした、笑

 

初投稿

はじめまして。りんかといいます。(偽名ですが)

日記をつけてみようと思いブログを始めました。

「私」を知っている人のいるTwitterInstagramで、その人たちの知らない「私」を出すことに躊躇いを感じてきました。

その一方で「知って欲しいけど知らないで欲しい」そう考える「私」もいます。

誰も自分を知らない場所で、自由気ままに、行ったところ、食べたもの、考えたこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、悩んでいること、色んな「私」をここに残せたらなと思ってます。

そんな思いを込めてブログの名前を『「私」の倉庫』としました。

倉庫より適切な表現があるかもしれませんが…ひとまずこれで始めます。

どの頻度で更新するかは「私」次第ですが、しっかりと記録していきたいと思っています。

 

今の私を忘れないように。